★★チャットルームを始めるまでのお話その2★★
こんばんは!
今日は川崎のルームの女の子がファンザのノンアダルト『おちゃ』でセルフイベントを開催して一日で25万ポイント獲得してくれてました!
その女の子の歩合は37パーセントなので・・
250000×0.37=92500円!日給92500円のお仕事♪
彼女はガッツポーズをしてルームを後にしました!お疲れ様ですっ!!
またまた自分語りブログでございます、チャットの話もチャットレディのお仕事の話もまだ何も出てきていませんm(__)m
そろそろぼちぼちだんだんとチャットレディのお仕事の話も出てきますので乞うご期待でございますm(__)m
前回までのお話はこちらですチャットレディはどんなお仕事?稼げるの?
さて、前回の話の続きです、昔のバンド仲間のP氏と私は輸入レコードのバイヤー兼サプライヤーに転身いたします。そのP氏はまだ某大手レコード会社のプロデューサーを務めつつそこで培った人脈を利用して自由に動ける私を使いせこせこと商売を始めました。
それがですね、、儲かったんですね笑
当時はサブスクでの音楽配信などはまだなくそれどころかアイポッドもまだ無い時代でパッケージで音楽ソフトを購入するのが当たり前の時代でした。ある一定のジャンルに詳しい私たちでしたのでそれに特化している輸入レコード&CDのショップさんがお客さんでした。
とあるアーティストのフランス版のCDを安く買えるとバイヤーから連絡が来たらそれを買って、国内のTシャツ屋さんにバンドのロゴとアルバムのジャケットをコピーしたものを印刷して『世界で限定1000セット販売!!』などとコピーをつけてですね、、これいろいろ法律にひっかかるのかな・・
ただ一つだけ言えるのは少なくとも1990年代2000年代前半くらいまでは結構な大企業さんも似たようなことしていましたし、今でもアーティストとの契約の盲点をついて阿漕な商売しているのが音楽業界ですが。
そこで青年おおさわは『商売』に目覚めてしまうのです。
誘ってくれたP氏には感謝していましたが私の取り分はなんと10パーセント。バイト代に毛が生えたレベルのお金しか手にできなかったのです。
そこで私思い切って独立して一人で始めたのです。
で当時は中古のソフト販売店が全盛期でいままでは専門ジャンルのみでマニアックなソフトをピンポイントで売っていたのですがもっと儲かる方法を考えてしまいまして。
もっとメインカルチャーに乗っている皆が聞くようなメジャーな作品をいろんな方法で安く仕入れて販売してくれるところにおろしたのです。
これに関しては詳しくはブログに書くのはやめておきますm(__)m
濡れ手に粟とまではいかないですが競争相手がいないブルーオーシャンでのんびり遊びながらそこそこ成功してしまったのです。
ただ世の中そんなに甘くはなく一気に終わりを迎えることになります。
一番の要因は先ほど書きましたがアイポッドですねーーー音楽ソフトをダウンロードで楽しむ時代になり、パッケージで販売が数字を落としていきました。
私はしかもいわゆるメジャーなアーティストを扱っていたので逆に落ち込みは激しかったです、マイナーなジャンルのマイナーなアーティストはまだまだパッケージソフトが売れていましたから。
そうして大した努力もせず、苦労もしないで少しだけお金持ちになってしまった青年おおさわは勘違いしてしまいます。
『俺商売の才能ある!』と。
ろくに節約などもせず、ちょっと高い車を買ってみたり、少しいい部屋借りて住んだりしてもまだまだ現金があった状況で、今までやっていた商売がイマイチな状況になっていた私はいきなり『デリヘルをやる!』と決意します。
だいたい2003かな?2002年くらいの話です。
まだまだチャットの話出てきませんね・・・
なので少しだけお仕事の話をはさみますm(__)m
風俗店を経営して、その後実は10年以上風俗業界で頑張ってきたのですが正直言いますとお仕事として、風俗は『なし』です。
これは間違いないです、だってこの10年以上の期間で出会った女性達、人数にしたら数百人になると思うんです。
その子たち本当の意味で『幸せ』になった子おそらくほとんどいません。
これが現実です、風俗の『リアル』です。
逆にチャットレディは『あり!』な仕事だなぁとつくづく思います、これはまた別の機会に書かせてもらうつもりです。
まだまだ自分語り終わりそうにないですね・・・当初二部構成とお伝えいたしましたがまた次回に続いてしまいますm(__)m
最後まで読んでくれてありがとうございます、おやすみなさいませ★